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I Want You Back

 わざとらしく且つ執拗な三回目の咳払いに、かつてサノスの娘として恐れられていたルモフォイド人もついに根負けするしかなかった。
 かれこれ数十分もの間、自分の背後でその男がうろちょろと目障りな動きをしているのには嫌でも気がついていた。早々に追い払わなかったのは、ひとえに彼が姉の想い人であったこと、そして自分の大切な家族――ロケットにとっては彼もまた≪家族≫であることを理解していたからだった。
 その事実に気づいているのかいないのか。渋々振り返ったネビュラの視線の先で、よれたプリントTシャツを着た男が緊張感のない笑みを浮かべていた。
「あー、邪魔して悪いな」
「わかってるんだったら、さっさと要件を言って」
 迷いなく叩きつけたにべもない返答に、男が唇の端を引き攣らせる。そのグリーンの瞳に困惑の色が過ったのを見て、ネビュラはわずかに眉を動かした。
 ついこの前まで、棺の周りに集まってヨンドゥに最後の別れを告げている丸まった背中が、ネビュラが目にした男の最後の姿だった。その一件より前はどうだったかといえば、個人として認識すらしていなかったかもしれない。
 けれどこの五年間で、ネビュラのこの男に対する認識には大きな変化があった。ベネター号で暮らしていた彼の痕跡を目にするたびに、そして酔っ払ったロケットから(稀に酔っ払っていないロケットからも)彼の悪口を(稀に思い出話を)聞かされるたびに、ネビュラの中で男の姿はたしかな像を結ぶようになっていた。むしろ彼の存在が消え去る前より、今の方がよく知っているくらいだ。
 反対に、この男は自分のことをどれくらい知っているのだろう。ガモーラがどこまで自分たちの関係を話していたかはわからないが、最悪の場合「病的なまでの執念をもって姉を追い回していた妹」くらいの印象しかないというパターンも考えられる。
 ネビュラはロケットと行動を共にするようになってから幾度となく繰り返してきたこの手の対処方法、つまり自分には敵意がないことを相手に示そうと口を開いたが、わずかに間に合わず男に先を越されることになった。
「大したことじゃないんだけど。その、俺たちがいない間、どんな感じだったのか聞きたくてさ」
 先ほどのまでの懸念を吹き飛ばすデリカシーの欠片もない発言に、ネビュラは盛大に顔を顰めた。なるほど五年間ロケットから聞かされ続けた彼に関する悪口は、誇大表現ながらも十分に的を射ていたらしい。
「そんなの、直接聞けばいい」
 この不毛なやり取りを早急に終わらせるべく、ネビュラは懇切丁寧に言葉を重ねってやった。
「アンタが聞きたいのは、私のことじゃないでしょ」
「いやいやいや、君に興味がないってわけじゃないんだ。誤解がないように言っておくけど、ガモーラの妹だからじゃないぞ。ただ、そうだな、たしかに、うちのエンジニアがどうしてたかも気にならなくはなかったり、」
 ネビュラがきつく睨みつけると、男はその減らず口をぱちんと閉じた。軽薄な表情を引っ込めて大きく息を吐くと、がっくりと肩を落とす。
「わかってる、わかってるよ。でもさぁ、なんかすごく変な感じなんだって」
 男の途方に暮れたような顔は、ネビュラに地球で知り合った極小サイズのヒーローのことを思い起こさせた。ロケットはなんて言ってたっけ……、そうだ、「子犬の目」だ。
 内心全然違うことを考えているのはおくびにも出さず、ネビュラは厳しい表情で腕組みをしたまま黙っていた。
「俺たちの知らない間に、世界がすっかり変わっちゃっただろ?俺の船も、俺の船なのに、俺の知らない装備とか機能とかめっちゃ増えてるし。新しい乗組員までいるし」
 ごめん、今のは、他意はないんだ。慌ててそう言い繕う男を冷たく一瞥し、ネビュラは先を促した。本題がそこではないことは歴然だった。
「五年間ロケットと君が二人だけでこの船に乗ってたなんて、なんというか、すごく、不思議な感じだ」
 今度は少なからず言葉を選んでいる様子で口ごもると、男は答えを求めるかのように周りをぐるりと見回した。
「ガモーラに出会ったのも、ロケットに出会ったのも、みんなに出会ったのはついこの前みたいな気がするのに……。五年って、長いよな?」
「……短くはない」
 男の言う通り、この五年間はネビュラにとってはとても長い年月だったけれど、ロケットは決してこの男に「長かった」とは言わないだろうから、ここでは曖昧な回答に留めておくことにした。
「だよなぁ。俺にとっては最近のことでも、そう言われたらちょっと自信なくすよ。どんなだったかなってさ」
 家族のことなのになぁ。ぽつりと転がり出た言葉は寂しげな響きをしていて、男はそれを誤魔化すように癖のついた髪を乱雑にかき上げた。
 きっとこんなのは、今の世界では誰でも突き当たるありふれた凡庸な困難の一つなんだろう。ネビュラは目の前に立つテランとセレスティアルのハーフをじっと見据えて、今まであった出来事に思いを巡らせた。全宇宙の半分の人たちを生き返らせようと苦心していた自分たちにとっては、なんてことはないちっぽけな悩みだ。――でも、それは私たちが五年間ずっと取り戻したかったことでもある。
「……アンタの部屋は?」
「えっ?」
 そして残念なことに、ロケットやこの男のような相手にはこちらからのアシストが必要であることを、ネビュラはこの五年間ですっかり学習していた。
「自分の部屋も見たんでしょ。どうなってた?」
「どうって、そのまんまだよ。昨日出て行ったんだっけなってくらい、取っ散らかったまんまで――」
何かに気がついてさっと顔色を変えた男を見遣って、ネビュラはため息を吐いた。
「私は片づけろって言った。けど、そのままにしといてくれって」
 今でも、この船にはメンバー全員分の私室がある。もちろん、ガモーラの分も。放置されていたわけではなく、五年分の分厚い埃が積もっているわけでもない。
 五年間ずっと部屋の中の状態を保ったまま、どうやって埃を払ったり掃除をしたりしていたのか、ネビュラはほとんど知らなかった。もちろん、そういうところを見せたがらない家族の性質を尊重してのことだった。
 自分の部屋の方がよっぽど不潔なのどうにかしてって、散々言ったんだけど。ネビュラの苦々しい呟きが聞こえていたかはわからない。だから、足早に踵を返した男の背中に、今度は大きめの声でこう投げかけた。
「彼は五年間、一度だって忘れたことはなかった」
 何をとも、誰をとも、ネビュラは言わなかった。ただ、振り返らずに部屋を出て行く男の背中を黙って見送った。
 ……最後の一言は余計だったかもしれない。
 ネビュラはさっそく襲い来る後悔に眉根を寄せると、今後はテランのペースに乗せられないように注意しようと心に誓った。

 二人ぼっちで過ごした五年間は、本当にいろいろなことがあった。特に最初の方は順風満帆とはいかず、どんなに記憶を美化したとしても、自分が心の底から歓迎されていたとは言い難い。この船の乗組員としても、銀河の守護者としても。
 鋭い爪と牙を持ったネビュラの家族 兼 船長――船の持ち主が帰ってきたので、「元」船長ということになるんだろうが――は、乱暴で粗野な如何にもアウトローらしい性格の一方で、仲間思いの優しい心の持ち主であることを、ネビュラはとっくに知っていた。
 しかし、初めの頃は事あるごとに彼が失った家族たちと比べられ、当たり散らされた回数は残念ながら数知れない。もちろんそのたびにしっかりやり返したのでお相子なのだけれど、これくらいの意趣返しは許されるだろう。そう思うことで少なからず溜飲を下げたネビュラは大きく息を吐くと、気を取り直してモニターに向き直った。

 * * *

「さっさと要件を言ってくれ、俺は忙しいんでね」
 クイルは振り返りもしない相手のジャンプスーツに包まれた背中を見つめながら、二人揃って同じようなこと言うんだなぁと密かに感心していた。同時に、なんだかモヤモヤとした思いが胸に広がる。ベネター号に戻ってきてから度々感じている正体不明の気持ち悪さを振り払うようにして、クイルはぎこちなく言葉を続けた。
「あー、調子はどうかと思って」
「絶好調だ」
 やる気なさげに返事をして、くるりとこちらに向き直ったロケットの尻尾が落ち着きなくゆらゆらと揺れている。「で、本題は?」と訝しげに片方の眉を跳ね上げた好戦的な表情はクイルが知っているいつも通りのもので、そこに五年の歳月の片鱗を見つけ出そうとクイルは視線を彷徨わせた。
 ネビュラの話を聞いていたら居ても立っても居られなくなって、気づいたらここまで辿り着いていたような状況なので、生憎気の利いた話題の一つも用意できていない。
「いや、一通り船内を見て回ったんだけど」
「なんだよ、何か気に入らないことでもあったか?」
 まぁ、今さら返品は受け付けないけどな。そう毒づいて、ロケットは工具を握っている自分の手元に視線を落とした。ふとその赤茶色の瞳に落ちる暗い翳を見たような気がして、クイルはぎくりと肩を強張らせた。珍しく減らず口を閉じたままの相手を前にして、気づかれないように静かに深呼吸をする。そうだ、今回は喧嘩をしに来たわけじゃない。
「……気に入らないっていうか、ずいぶん改造したんだな」
「いろいろ必要に迫られてな、船長」
 鼻で笑ったロケットの顔を見返して、クイルは自然と眉を顰めた。この気難しい家族が時々見せるわざとらしい笑い方が、クイルはあまり好きではなかった。
 ――その「いろいろ」があった五年間の話をしてほしいって言ったら、コイツどんな顔すんのかな。
 サノスが全宇宙の半分の命を消し去ってからの五年間は、自分にとっては一瞬だったはずなのに。なんだかその前の世界が、ずいぶんと遠くなってしまったような気がする。ついさっきネビュラには簡単に聞けたことが、なぜかとても難しいことのように感じられて、クイルは言葉に詰まってしまった。
 そんなクイルの様子をちらりと横目で眺めると、ロケットは持っていた工具をぞんざいに机の上に投げ出してこう言った。
「……いっそ新しくするか」
「……は?なにを?」
「そんなの、船に決まってんだろ」
 きっぱりと宣言したロケットはスツールから飛び降りると、するりとクイルの横を通り抜けて部屋を出て行ってしまった。その後を大急ぎで追いかけながら、クイルはひっくり返った声音で叫んだ。
「船って、この船のことか!?なんで!?」
「乗組員も増えたしな。ちょっと手狭だし、ちょうどいいんんじゃねーの?」
「いやいやいや、誰もそこまでしろとか言ってないだろ!ちょっと今の状況とか教えてくれれば俺はそれで、」
 ようやく隣まで追いついてきたクイルはロケットの顔を覗き込んで、そしてピタリと騒ぐのを止めた。薄暗い船内でその瞳は爛々と輝いていて、口元にはさっきとは違う本物の笑みが浮かんでいたのだ。間違いなくマジのやつだった、見間違えるわけがない。
「……そんなに新しい船が欲しいのかよ」
 ベネター号は、ガモーラとの思い出が残る最後の船だった。
 思わず零した恨み言が、その鋭い耳にはしっかりと届いたのだろう。パッとクイルの方を振り仰いだロケットは、牙を剥き出して凶悪な顔で笑ってみせた。
「ハッ!欲しいに決まってんだろ、新しい船だぞ?」
「この船だって、大事にしてくれてたんだろ」
「当たり前だ。けど、結構無茶させたからな、あちこちガタがきてる」
 ロケットは視線を前に戻すと、クイルを置き去りにして歩みを進めながら「それに」と言葉を続けた。
「また新しい船で旅に出るのも悪くないと思ってた」
 ――オマエらとなら。
 そう付け加えたロケットの小さな背中を見つめて、なるほどこれは大きな変化だな、とクイルは新たに湧き上がってきた驚きを慌てて飲み込んだ。何かしらのリアクションを見せたら、間違いなく引っ叩かれるだろうと判断したからだ。ロケットの一言で、先ほどまでの不信感はあっという間に霧散してしまっていた。
「安心しろよ、オマエの希望もできるだけ叶えてやるから」
「いや、そもそも俺の船だよな?」
「エンジニアである俺の意見が最優先に決まってんだろ」
「へいへい、わかったよ相棒。あとで話し合おうじゃないか」
 どうやら生き返りたての船長である自分は、新しい環境に慣れるための時間さえ満足にもらえないらしい。
 出会った時から変わらない理不尽な会話の応酬も、今となってはクイルの身体に馴染んでしまったものの一つだ。それがちょっと愉快に思えて、隣を歩いている大切な家族にその気持ちを伝えたくなったクイルは、久しぶりに遠慮のない笑い声を上げた。
 胸の奥には、初めてみんなで宇宙を救ったあとザンダーから飛び立つ時に見た懐かしい光景が、色鮮やかに蘇っていた。

 新しい船の名前を付けるにあたってまたひと悶着あるのだけれど、今はまだもう少し先の話だ。
 

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