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​リク

ほしのなまえ

 地球人は死ぬと星になるらしい。
 
 いつだったか、一番身近な地球人であるピーター・クイルがそう話していたのを、ロケットは思い出していた。
 
「ハア?お前みたいなのが、こーんなでっかい惑星になるっていうのか?どうやって?」
 
 ロケットが地団駄を踏むようにその星の地面を蹴っている。星とはまさにこれである、といわんばかりに。自分の話がうまく伝わっておらず、ロケットのイライラした様子に、クイルは頭を悩ませながら身振り手振りで説明を付け加えた。
 
「違う違う、そうじゃなくて。星っていうのは、夜にさ、空に光ってるって意味で……」
 
 どうやら、地球では夜空にわずかに見える恒星の輝きを、「星」と呼んでありがたがっているらしい。いわゆる銀河を旅する自分達が「星」と呼んでいる巨大な惑星のことではなく、地球から見えるほんの少しの、限られた輝きのことだった。地球人は、それらひとつひとつに名前をつけたり、誰かの無事を祈ったり、自分の運命を占ったり、星と星をつないで生き物や神に見立てたりして楽しんでいるらしい。そしてそのひとつが「死者は星になって、夜空に輝く」ということだった。
 
「ソレ、毎日誰かしら死んでるのにおかしくねえか?死んだ奴全員、星になってピカピカ光ってたら、昼間と変わんねえだろ」
「だから、ほんとにそうなってるわけじゃなくて、この光のひとつが、死んじまった誰かなのかな、って、こう、思いを馳せるんだよ」
 
「ハッなんでそんなことするんだ?」
「えっ……なんでって……?」
 
 お互いが困惑して、言葉にならず静かになった。クイルが、うーん……と何度か唸って、腕を組み直したり、頭をかいたりして思考を整理して、やっとやっと言葉をつないだ。
 
「死んでも、その人がそばにいるって……見守ってくれてるって思ったら……こう、力強いというか、安心するだろ」
 
 地球人ってのはおかしな奴らだな、とロケットは思った。自分には、夜空の星を見上げることも、それらが死者で、自分を見守ってくれるなんてことも、いまいち想像がつかなかった。相棒のグルートはいなくなってしまったが、挿し木から育ったもうひとりの彼はロケットのそばでぐんぐん成長しており、以前の彼が星になったとか、どこかで見守ってくれているなんてことは、よくわからなかった。
 
 
「ねえ、ロケット!この子、いつお話しできる?」
 
 ファイラがそう言いながらロケットの目の前に、アライグマの子どもをぐいと近づけた。ぼーっと昔のことを思い出していたロケットは、びっくりして肩を揺らす。ファイラの小さな手の中で、同じくらい小さな命がロケットの鼻先をくんくんとしきりに嗅いでいた。赤茶色の丸い瞳は、鏡でみる自分のそれとよく似ている。

 あの混乱から彼女たちを保護して、数週間が経っていた。未知なる言葉を話す彼らとのコミュニケーションは、専らドラックスの通訳と音楽とダンスではあったが、中でもこのファイラは、あっという間に簡単な宇宙公用語を使うようになった。この分なら、調整中の翻訳機は必要ないかもしれない。
 
「はなす?」
「そう、大きくなったら、おはなし、できる?」
 
 ロケットみたいに!と続けたファイラに、それは……無理だろう、と言いたかったが声にならなかった。何も言わないロケットを、ファイラが不思議そうに見つめている。そばで様子を見ていたネビュラが、助け舟を出すようにファイラに声をかけた。
 
「それは、難しいわね。この子達は、大きくなっても言葉は喋れないの」
「ふーん、そうなの」
 
 ファイラは残念そうに手の中の命に目線を落とし、やさしく抱きしめて他の子どもたちの元へと歩いて戻っていった。
 
 言葉を理解して話すという知能はもとより、動物の、アライグマの口の構造は、言葉を喋るようにはなっていない。声を発する声帯と喉の作りも、細かい発音を操る舌も、顎の形や顔周りの筋肉も、すべてはそうなってはいなかった。話すだけではない。本来のロケットの、アライグマの身体は、直立して二本足で歩くことも、肩を自由に回して物を投げることも、木から木へ素早く飛び移ることもできない。まして爆弾や銃を作り、宇宙船を操縦することもないのだ。
 
俺みたいな奴は、俺以外にいない。
 
 何度となく繰り返し、他人へ、そして自分へ言い聞かせてきたセリフが、ロケットの中に響いた。以前自分に組み込まれていた、頬の金属があった場所に触れる。言葉を明瞭に話せるようにするため、顎の骨と周辺の筋肉を変える目的で施された。二本の足で歩けるのは、今も忌々しく残る背中の金属で背骨を矯正し、直立の姿勢を保てるからだ。足の骨、筋肉、骨盤も、直立して歩くための改造が施されている。自由になった二本の腕を使うために、肩甲骨を押し広げ、胸を開いた。金属の鎖骨が追加されたことにより、二本の腕はより自由になり、全体的な筋力強化も相まって、アライグマらしからぬ、多彩な動きを可能にしている。元々器用ではあった5本の手指も、筋肉や神経をさらにいじったことで、高い知能を持つ頭脳に追いついている。
 
 俺の名前はロケット・ラクーン。受け入れた自分のルーツは、今までの孤独を完全に埋めることはできず、少しだけ揺らいでいた。
 
――
 
 クイルが地球に帰る日は、明日に迫っていた。あの日、マンティスが旅立ち、クイルも「地球に帰る」とは言ったが、多くの人が傷つき、建物は崩壊し、生き物の種類も数も増えた大混乱のノーウェアを、まずは落ち着けることが優先だとクイルは譲らなかった。元に戻ったとは言い難いが、やっと日常の気配が近づいてきたなとみんなが思う頃には、クイルは自分の部屋や宇宙船の片づけを終えていた。最初の頃、ガモーラから酷評されていたミラノの中さえも、今ではもうすっかり整えられていた。
 
 最後の夜、ノーウェアに置いていくミラノの船体を、綺麗にしたいから手伝ってくれ、とクイルが言うので、ロケットは渋々、整備の時以外は滅多に登らない船の上に乗っている。まさかの手作業である。こんなことは清掃ドローンにでもやらせておけばいいのに、と言ったが、こういうのは気持ちが大事と押し切られた。ミラノ、というのは地球の歌手の名前らしい。人間らしい名前をつけるから、人間のように扱ってしまうのだ、とロケットは心の中で文句を言った。
 
 翼の部分の大きな修理跡をなぞりながら、ロケットは以前ベアハートに不時着して、ミラノを真っ二つにしてしまったことを思い出した。自分はこの宇宙船を、人間や生き物と思ったことはないが、なんだか申し訳ない気持ちになる。あの時も、あの時だけじゃなくいろんな場面で、船を、仲間を危険にさらした。でも、何度も死ぬかと思った場面を乗り越えてきた。
 
 でもこの前は、本当に――出かかった言葉を飲み込んで、もっとふざけた軽口が、本音を隠すようにいつもみたいに勝手に口からついて出た。
 
「お前が星になったらさ」
「は?」
「地球人は死んだら星になるんだろ」
「いやまだ死んでねえし!死なねえし!」
 
 隣で船体を磨いていたクイルが、大きな声で反論した。お構いなしにロケットが続ける。
 
「めっちゃうるせえ星なんだろうな、ビカビカ光って」
「ああそうだ、いっちばん目立ってやる!それに俺は」
 
 不安定な船の上で、クイルはわざわざ立ち上がって宣言する。
 
「俺は、スター・ロードだからな」
 
 以前より、少しばかり有名になってきた彼のアウトロー・ネームは、輝く星・恒星を意味している。そうか、こいつはずっとそういう名前だったのか。彼は、ずっと前から、光り輝く星だったのだ。
 
「俺は、ほんとに星になっちまうところだった」
 
 ぽつりと出た言葉が、隣にいるクイルを傷つけてしまったのではないかと、慌ててロケットは彼を見た。瞳の奥で、不安や悲しみや苦しい気持ちが揺れているのがわかった。それは、途切れ途切れの記憶の中で見たあの瞳と重なった。今更ながら、あれは本当の、現実の出来事であったことを実感する。あの時の身体の痛みより、クイルの瞳のほうが胸を締め付けるのはなぜだろう。お互いになんと声をかけていいかわからず黙っていると、静かにクイルの瞼が落ちて、二人の間にある何かを、ゆっくり押し流すように、大きく息を吐いた。
 
「あのさ、ロケット。死ななくても、星にはなれるんだよ」
 
 クイルは、ノーウェアの隙間から少しだけ見える銀河の暗がりのほうを見た。ここは頭蓋骨の内側に、人工的な空を投影しているため、その隙間こそが本当の夜空だった。クイルの言葉に、どういうことだ?とロケットが少し首をかしげて、耳を動かす。
 
「夜、星が見えたら、あーあれはノーウェアなのかな、みんな元気にしてるかなって俺はお前らを思い出すと思うよ。だからロケットも、」
 
 この宇宙のどれかの光が、地球かもなって思い出してくれよ。そう言うと、クイルは目を細めて笑った。その顔がいつもの、ロケットによく向けられる皮肉や意地悪ではなく、屈託のない笑顔だったので、彼は少しびっくりしてしまった。ほしみたいだな、と思った。
 
彼はずっと、ロケットの、一等輝くほしだった。
 
 なんだか気恥ずかしくなってロケットは鼻をかいた。それから、「ま、地球もノーウェアも恒星じゃないから光らないし、だいたい何億光年離れてると思ってんだよ」と意地悪を言った。つもりだった。でもその声色にはいつものような棘がなく、あんまりやさしく響いたため、クイルは、まあそうなんだけどさあ、と肩をすくめて笑った。いつもならそこで喧嘩になるはずなのに、ならなかった。それが彼らの、これからの新しいはじまりに思えた。
 
「俺はさ、ロケット。星を見てお前のこと、思い出すよ。死んだ誰かとかじゃなくて、この夜空の向こうには、宇宙が、銀河が広がってて、いろんな星や生き物や生活があって、それを、俺たちが守ってたんだなあって。地球にずっといたら、わかんなかった。連れ去られて……良かったとまでは思わないけど、でも、俺、ここで生きてきて……俺もお前も星にならずに済んで、良かったよ。ほんとに。そんでさ、これからは、お前がこの星たちを守ってるんだなって、そう思いながら眺めると思う」
 
だから寂しがるなよ。大丈夫。
 
 そういいたげに、クイルがロケットの背中をトントン、と叩いた。そこまで言葉にしてしまったら、彼の強がりが、ささくれのような小さな痛みを伴って、お互いを傷つけてしまう気がしたから。
 
「……ピーター」
 
 あまり呼びなれない、その名前を口にする。俺も、と言葉にできるほど、彼はまだ素直になれなかった。ただ、自分のファーストネームを呼ばれたことで、クイルはなんとなく彼の気持ちを理解して、口元を緩めた。なんだよ、と呼びかけた声はおだやかで、夜の空気に溶けていく。振り返るように彼を見ると、自信ありげな、強い意志をもった赤茶色の瞳と目が合った。その生き生きとした輝きを、ほしみたいだな、とクイルは思った。
 
 ロケットは、いつものようにニヤリと笑う。いたずらをするとき、敵をぶっとばしたとき、新しい武器を完成させたとき、いい事を思いついたとき――彼はいつも、こんな風に笑うのだ。
 
自分のこの体が、この声が、お前の名前を呼ぶことができるのなら――
 
 たとえ何億光年離れていたとしても、この広い宇宙で、たったひとつの、そのほしの名を呼んでやろう。お前を知る者が、待っている者が、俺が……俺がここにいるぞと、叫んでやろう。
 
生きてても死んでても、黙ってそばにいるだけの、見守っているだけの星になんてなってやらねえ。
ピーター、お前もきっとそうだ。
 
 言葉になることはないその思いは、ロケットの中の、深い深い宇宙へと静かに流れていった。
 
「なんでもねえよ、」
 
 その暗闇の中で、一等輝くほしのなまえを、ロケットはもう一度、声に出した。そのほしのなまえを呼ぶことができるこの体を、この声を、自分自身を――ロケットは少しだけ好きになれた気がした。
 
 
おわり

 

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